猫菜ミント通信

ゆったりリラックス:伸び伸びまんまるハート

統一教会

おはようございます。


いつもの年だと庭の彼岸花は赤い花を咲かせるはずなのに今年はまだ眠ってる。芽吹かない。地下茎はどうなっているのやら。


田んぼのあぜなどに赤い彼岸花を見つけるとホッとします。農村の原風景のひとつ。葉っぱがなくて他の花とは異なったフォルム。曼珠沙華とも呼びます。スリムで非日常感あふれる花だとおもう。


ムーミン家の菩提寺は禅宗の曹洞宗。永平寺が本山。福井の永平寺は一度たずねたことがある。また機会をつくってじっくり観察してみたい。永平寺のダースベイダーという青森恐山の管理もされている南直哉さんという僧侶がいらっしゃるんですが、毛色が変わっていてユニークな方です。


うちの寺は田舎の端寺。住職は世襲なので家業をついだ跡取り息子。となり近所のおじさんと同じで深みもなにもございません。金にうるさいので評判もよろしくない。んでも、あくまで自営の商売、遺骨を人質にとったお墓を管理する霊感商法みたいなものなので仕方ない。ごく一般的な鎌倉仏教の形態だとおもいます。


禅の坊主は長生きだといいますが、開祖であられる道元さんは54歳だかで入滅。とても厳しいひとだったといいます。臨済宗の名僧は長生きする傾向にあるのに曹洞宗は型にきびしいので短命におわるのかもしれません。


「輪廻転生」


そこらへんのことはまったく無知なんですが、お釈迦さまの場合は、死後の世界はあるのでしょうか!?。と、問われた際にはっきりと分からないと答えられたといいます。お釈迦さまは裕福かつ高貴で何不自由ない城郭から王子の身分を捨て、妻子を捨てて苦行の道に入られた理由のひとつは「解脱」にあったからだといわれています。


なにから解脱したかといえば、輪廻転生というものからすっぱり抜けること。お釈迦さまは涅槃という臨終をむかえたときに完全に死に切ったわけです。イエス・キリストのような復活もありませんし、輪廻転生することもない。


どちらがよくて、どちらがよくないということはありません。お釈迦さまの考え方はそのようだったと言い伝えられています。


わたしはどちらもありだとおもっていますが、そこらあたりは未経験なので正直、なんとも申せません。


「宗教観」


わたしは無宗教といえば無宗教なんですが、般若心経を世界でもっとも美しい詩(ポエム)だととらえておりまして、文字数がたった200文字強。日本の仏教系宗派ではほとんど般若心経を肯定しているといいます。


般若心経を読経したり写経したりする方は数多いとおもいますが、かんじんの中身についてはこういうものであるとズバッと語れるひとは少ないように思いますし、勘違いされてる僧侶のかたも見受けられる。


般若心経を心から理解してマスターすれば、すなわち悟りに違いありません。真理に目覚めた者をブッダと呼びますが、真理に目覚めることが悟りです。ということは仏教とはブッダそのものになることが第一目標なのです。ですが、悟ったからといってなにか特別の利益があるのかといえば、なにもない。ただものの見方が自由になるだけで、油断すればすぐに忘れてしまう。抽象的ですからね。


では、何が真理なのか!?。そこらへんはしごく簡単なんですが、簡単であるがゆえに難解でもあるという矛盾をはらんでます。般若心経に関する情報は氾濫しすぎてることも要因かもしれません。書き連ねると長くなるのでべつの機会。


「新興宗教体験」


一度だけなんだっけな。あ。統一教会だ。集団結婚式とかで名をはせたナゾの韓国系の宗教。いづれの宗教もナゾの秘密めいたものが魅力でもあるんですがね。まだ若かったので根堀はほりと質問できなくて、いうがままに相手の策に身をまかせてました。


道を歩いていてアンケートお願いしますと誘われて、街中の教会に連れ込まれた。そのあとにビデオセミナーをいうひとりずつ個別に説明ビデオをトータルで10回ほどみせられました。そしてラストに総仕上げとして二泊の合宿がありました。人生で最初で最後のマインドコントロール体験でした。あの方法で入信を勧められるとたいていの人はイチコロじゃないかな。


レクリエーションとしてドッジボールをやった。温泉地の古い旅館が合宿所。歩いて公園まで出かけて男女混合ドッジボール。小学生以来だったのでちょっと変な気分でしたが、そのときだけは童心にかえった。


教祖は文鮮明という韓国人。


ビデオを利用して信者をつのるというやり方はじつによく練られてる。関心。桜田淳子さんはどうされているんだろう。まだ活動されてるのかな。どのようにすれば人の心をたぐれるか、あるいは自分を見失い相手の意のままにされてしまうのか。あと集団心理。



実際にまのあたりにしましたが、気になるのは入信していわば出家同然の身となった方々のその後。どこの馬の骨ともしれぬ輩と集団結婚式をさせられたら、そのかたの人生はどうゆうふうに進むのか。体験は一生ついてまわりますからね。心配。



わたしは合宿のあとにおかしいと感じて入信することはなかったのですが、新興宗教の信者集めやマインドコントロールの手口を実体験したのは勉強になりました。

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