夢から宗教ほにゃらら
にゃん。
よく眠れましたか。睡眠は修正。消耗した神経細胞や記憶や身体もろもろを回復させるため。そして毎夜毎夜、プチプチな死を体験。最終的な死にそなえてレッスンを積むわけですね。
夢はピュアな創作。
地域の祭りにて亡父が大声で歌をうたってた。夢はビジュアル中心。音声があらわれることは少ない。どんどん場面展開してあれよあれよというまに目覚める。
京都高山寺の明恵上人みたく夢を記述すれば、おもしろいことが起きるかもしれない。かれの場合は短期予知夢だというが、まあ記録というのはあくまで記録なので限りなくフィクションとごちゃ混ぜだろう。
作者不詳の鳥獣戯画。
ナゾ多き高山寺に絵筆に覚えある画僧がおって、明恵上人の伝説から着想したのかもね。
真言密教の寺だから空海系。真言宗はあまりに空海パワーが強烈だから空海以外に目立った僧侶を輩出してない。明恵は例外のひとりに数えられる。なので超能力ともいえる予知能力の持ち主としてあがめられた。なにせ空海の弟子だもの。
宗教者は、ウリとして常人ではとうてい不可能な能力や経験を吹聴する傾向がままある。たいていマユツバ。口や文字ではなんとでもいえる。かのブッダ君とて特殊能力の持ち主。後世の信者が布教活動のためにつくりあげた物語。なんて身も蓋もないことをいっちゃおしまいだけど・・・。
もうミントったらデリカシーに欠けるわね。
骨董と能に造形深い白洲正子さんは高山寺がお気入りのスポットだった。たまに白洲さんの文章を眺める。わずかながら白洲さんの美意識を通したレトロな日本にもどれる。凛とした生け花は彼女自身のたたずまいを感じます。とことん和を追い求めて和に生きたひと。
ふと賛美歌「アメージング・グレース」の逸話が脳裏にうかぶ。
嵐に遭遇して、命の危険からハッと目がさめることだってある。死の淵に立ってみて命の大切さをしみじみ痛感。ぎりぎりの瀬戸際になって天啓・啓示をさずかる。
神のお告げなんでものは、幻想にすぎないのだけど、現実ばかりのリアリストというのもつまらない。神のような幻想モデルはないよりあったほうが豊か。時と場合によりけりですけどね。幻想道具として使いこなせればいうことなし。
奴隷商人だったグレース君は悪魔の手先でしたが、奴隷運搬中の航海で死にそうになり悔い改めて神父だか牧師に転身。地獄から天国へシフト。
まったく別人生を歩んだわけだね。
駅で新新宗教のチラシを配ってた。
なかみを開いてみれば、ふりがなふってある文章。挨拶の効能が書いてあった。ってことは、それだけ挨拶がないがしろにされてる証拠。自分の周囲を見回せば、いい歳こいて挨拶すらできないというか、交流を拒否してるというような人間をみかける。
挨拶は、ただの条件反射でもあるが、お互いケンカせずに仲良くしましょう。みたいな出会いと別れのときのサイン。
チラシをながめて考え込んでしまった。
なんてのは嘘。
んでも、挨拶やアイコンタクトや笑顔に欠けるひとは要注意。動物でいえば、鮫みたく凶暴かもしれないから警戒。ピコピコアラーム。いまになってチラシのことを振り返ってみただけですけど。
チラシには立派な施設写真が掲載。きっと会費は高額なんだろうにゃあ。
勧誘員のシロートさんたちはとろーんとした目つき。イっちゃってる。一途な信仰のせい。なにもかも神の御心のままにお任せ状態。それはそれで大いに幸せなんだろう。