猫菜ミント通信

ゆったりリラックス:伸び伸びまんまるハート

結婚運

おはようございます。


どんよりしてるが、まずまずの天候。優雅な雲が浮かんでる。無風。あなたのところのお天気はいかがでしょう。


帯に短しタスキに長し。人生の妙ともいえる。


理想というのは心のなかにあるもので、現実にはないのかもしれません。どこでも住めば都にちがいないとは思いますが、やはり不動産を購入して引越しとなるとそう簡単に決断できない。ああ。器の大きな太っ腹な人物になりたいニャア。


まさか占いに頼るわけにはいかないし。


わたしはこれまで一回も占い師にかかったことはなくて、自分じゃなくて知り合いに個人でやっている占いの店を紹介したことはあります。小耳にはさんだ情報によればラジオ出演もされる有名人らしくてね。その知り合いはさっそく出かけて占ってもらった。なにを占ってもらったかといえば、結婚に関して。かれは自分が結婚できるかどうか気をもんでいて、ついにこらえきれずに占い先生のもとに走った。


結果はというと、なんと「君は一生、結婚できない」とズバリ指摘されたという。それを聞いたわたしは驚いて彼をなぐさめたんですが、心のなかではやっぱりな。というおもいでした。おそらく高名な占い師は彼の物腰や言動をみきわめて解答したのだとおもいます。自信喪失や後ろ向きな考え方とかを総合して判断したはず。


それにしても不治の病の宣告みたいなことをした占い師にはビックリ。そこまではっきり断言しなくてもいいものを。どうやったら結婚運が好転するのかみたいなアドバイスをするのが普通だとおもうのに。知り合いはよっぽど運勢が欠落していてアドバイスのほこどしようもなかったかも。不治の病だとしたら、すでに手遅れというか手のほどこしようがないとか・・・。


その知り合いは食べ物の好き嫌いが激しくて、まともな栄養あるものがまったくというほど食べれない。白いご飯と食パンとか、あっさりした食物で生きてる偏食家。着ている冬物コートすら重くて仕方ないとグチるタイプでした。


なもんで、わたし自身は占いには手を出したことはありません。


でも、先日、興味本位でショッピングモールの通路のすみにある手相占いコーナーのまえでボンヤリと立て札をながめていたら、声を掛けられました。


わたしが一言二言質問。


先生はどれぐらい占いの仕事をしてらっしゃるのですかと聞いてみたら先生は口ごもってバツがわるそう。チェーンの占いショップなので経験は浅いんだろうね。


簡易に占い師を養成してアルバイトのように使ってるのかもしれない。男女比率はどれぐらいか分からないが、お客様の大半は女性。男性の場合は自分で人生を切り開くのが基本だから素性の知れない占い師に運勢をうらなってもらうことはすくないとおもう。


わたしは小心者なので、占い師から先ほどの知り合いみたいにマイナス運勢を告げられたら気になって仕方ない。逆に奮起して頑張るのが正しいのだろうが、そううまく気持ちを整えられない。だから小心者なのだ。


占いとは未来予測。


占いの歴史は言語の発生時あたりまで遡れるといいます。数千年前から行われていたらしい。人間というものは未来が気になるんですね。


SF映画のように未来がわかるというのは絵空事。確定的な未来はありえない。ありえるのは生まれた瞬間から確実に死にむかってること。誕生したからには消滅しなくてはならない。逢うは別れのはじまり。逢ったからにはいつかは別れがおとずれる。


それじゃあ。あまりに現実的でつまらないから現実から目をそらしたり、悲しみを柔らげたりするために多様な風習や文化をつくりあげてきた。


おそらく人間が死というものを意識したときに恐怖をおぼえて、どうすれば死の恐怖からのがれることが可能かといったあたりが占いの出発点ではあるまいか。もしくは狩りの吉兆を占う。作物の豊作凶作など。


占いを施す者は特別な存在だった。わたしは神であるとは言い出しにくいので、わたしは神の使いである。と宣言することで神の代理をつかさどる。

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